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岩手県立盛岡第一高等学校1960年卒在京同期会
白堊三五会 大石宣隆・陽子ご夫妻の追悼ページ




[kijunokai_2017]
撮影:2017年6月11日 喜寿の集いにて

大石陽子さん:ご逝去年月日:2021年5月24日

 5月24日、大石陽子さんがお亡くなりになられました。昨年の9月にご主人様の宣隆さん
をお送りになられたばかりでしたのに・・・。                    ..
 宣隆さんが寂しがって、連れて行ってしまわれたのでしょうか? 宣隆さんがお亡くなりに
なられたころから体調がすぐれないことは伺っていましたが、こんなに早くお別れするとは思
ってもいませんでした。                              ..
 「白堊三五乙女の会」の第一回、と第三回にご参加なさって、美しい歌声をご披露下さって
いたことを懐かしく思い出しています。                       ..
 本当にほんとうに・・・寂しくて、残念で、悲しい思いでいっぱいです。       ..
 心よりご冥福をお祈りしています。                        ..
                          ―向井田久子―        ..


 大石陽子さんの訃報に接し、その美声を思い出し、悲しい思いをしております。    ..
 私は大石さんとクラスが一緒になったことも、お話ししたことがありませんでしたが、その
美声のことは中学生の頃に聞いて居りました。私は下小路中学校でしたが、多分3年の時に下
小路中学校で市内の中学校の独唱コンクールがあったのだと思います。そのコンクールの後に
 音楽の先生が、授業の時にコンクールの話しをされ、田口陽子さんが圧倒的美声で優勝された、
と話しをして呉れました。                             ..

 一高に入学し、その田口陽子さんが居られることを知り、彼女があの美声の持ち主か、と思
ったことを今でも覚えております。                         ..

 大石陽子さんのご冥福をお祈り致します。合掌                   ..
                          ―佐藤 勇夫―        ..


 大石陽子さんのご訃報に接し、ただただ驚いています。夫君、宣隆さんを送って僅か半年余
り。そんなに急がなくても…という思いです。                    ..
  私、陽子さんとは小・中も一緒でした。小学校(厨小)では5,6年の2年間同級であり、
NHK合唱コンクール用に特別編成された合唱団でも一緒でした。一度は、市の学童独唱コン
クールに、彼女と、なぜか私も参加し、あの時彼女が歌った童謡「叱られて」を聴衆の一人と
して聴いた感動は、今でも思い出すくらいです。あの美声で、切々と語るように歌うのには,
凄い説得力を感じたものでした。                          ..
 以来、歌姫「陽子ちゃん」は、マドンナ的存在でした。中学・高校はクラスが一緒というこ
ともなく、特段の接点もなかったのですが、通りがかりで会ったら気軽に声を掛け合う関係で
 した。その後、かなりの時間が経過し、陽子ちゃんが「大石陽子さん」になったことを知って、
すごく納得した気分でした。                            ..
 最近20年ほどは、中学(厨中)や高校の同期会で再会する機会が増え、ある時期から、病
を得た夫君の看病についても、それとなく伺う場面がありました。           ..
 一昨年7月、「久木田はるみさんを偲ぶ会」で彼女と会ったのが最後になりました。あの時
の彼女のスピーチは、「私もはるみさんと同様に縁あって同級生同志で結婚したのですが、主
 人、大石は入院しており、昨夜“はるみさんを偲ぶ会に行ってくるよ”と言って聴かせたけど、
話は通じていないようです。だんだんそういうことになります。さびしいことですね」という
のが締めでした。                                 ..
 遠方からですが、心をこめて合掌し、陽子さんのご冥福をお祈り申しあげます。    ..
                          ―佐藤 孝久―        ..


 大石陽子さんとお会いしたのは、「三五会サロン」の時でした。宣隆君を甲斐々々しくサポ
ートなさっている姿が印象的でした。宣隆君にはお坊さんをなさっている双子の弟さんが居ら
れるのですが、お二人が結婚する時まで知らなかったと仰ってました。実は、お坊さんの弟が
いることは、「三五会サロン」が開かれる少し前に知ったばかりで、“確認”のお話をしたの
でした。そのサロンの時、転がすようなソプラノを響かせたのですね。耳に残っています。..

 ご冥福をお祈りします。                             ..

                          ―村野井徹夫―        ..



大石宣隆君:ご逝去年月日:2021年9月9日


 どなたかからお知らせがあったかもしれませんが。大石宣隆さんがお亡くなりになりました。
今朝の「岩手日報」の死亡広告を、添付しました。                  ..
 事故で高次脳機能障害になられた大石さんを、奥様の陽子さんが長い事あたたかく支えてお
られました。「古希祝同期会」「喜寿祝同期会」その間の「三五会サロン」等にも、ご夫妻で
参加なさって「コーラス」できれいな歌声をご披露下さっていましたね。        ..
 お二人いつもご一緒で、陽子さんに恋人のように「大石さん」と呼ばれていたお姿を思い出
しています。                                   ..
 ご冥福をお祈り申し上げます。                          ..
                            ―向井田久子―      ..

 大石君とは上田中学校で一緒で、NHKの全国合唱コンクールで歌いました。盛岡地区予選
で終わりましたが、指導の先生が男声が素晴らしくて“このまま解散は勿体ない”と言って、
男声ダブルカルテットを組んでくださり、文化祭のほかに、盛岡市内中学校音楽会で岩手県公
会堂のステージで歌ったのが良き思い出です。彼は勿論テノール、私は本来ならバリトンだけ
ど比較的低い方まで出せたのでバスパートでした。                  ..
 帰省の折、通りがかりに岩手日報本社に立ち寄ったら大石君は留守で、名刺を受付に置いて
きたことがありました。翌日、『本社訪問』欄に載っていて大した用事があったわけではない
のに恐縮しました。最後にお会いしたのは「三五会サロン」の時でした。私のことを分かって
くれたようですが、じっくりと昔話ができなかったのが寂しいです。          ..
 浄土真宗の合唱団?の活動もなさっていたようで、ご浄土に旅立たれました。合掌   ..

                             ―村野井徹夫―     ..


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