宮澤賢治「永訣の朝」のことなど  宮澤賢治の妹、岩田シゲという人がつづった回想録が存在することが新聞に載ってい た。賢治の「永訣の朝」にある妹、「トシ」の臨終の様子を詳細に描いているとのこと である。(平成29年、12月1日読売新聞)  この永訣の朝は、教科書にもとりいれられ、有名な詩である。「あめゆじゆとてちて けんじゃ」という一節もよく知られている。このシゲの文中では“賢治が雨雪を茶碗に うけて病室に入りました”という実際にあったこととしての回想もあるという。  最愛の妹が永遠に旅立っていく最後の場面を詠んだもので悲しい詩である。だが、単 に悲しいだけではない。天から落ちてくる雨雪を、自然からの賜物としてそれを欲しが り、やがて旅立っていく人間……、宇宙の中の人間という存在を表現した賢治独特の深 い世界観をうかがわせる。  宮沢賢治が信仰した宗教は法華経である。法華経の根本思想は菩薩行といわれる。菩 薩行とは、まず、自分より他人をいつくしみ、そのためになることである。賢治の小説 にはこのようなモチーフが多い。グスコーブドリの伝記、銀河鉄道の夜、よだかの星… …である。  しかし、父親との確執があったという。それは、父親が信じていた宮沢家代々の浄土 真宗との宗教上の問題とされている。宮沢家は周知のとおり質屋などを営んだり、当時 発展しつつあった花巻温泉に投資したりしている金持ちの名家である。一方眼を転ずれ ば、東北の冷害に苦しむ農民の惨憺たる状況に賢治は耐えられなかったのではあるまい か。これが父親とのいさかいにまでなったいるのだと考える。  賢治の文学、生活までもこのような状況をふまえて存在していると考える。  今回のシゲの回想には、父親が「皆で(賢治とシゲが信じる法華経の)お題目を唱え てすけて(助けて)あげなさい」と言ったとの記述もある。(新聞記事のまま)最後を 見送る親子の情はすべての確執を取り去るものともいえよう。  私はこの記事を見て、また、「永訣の朝」を読み返してみた。  “うまれてくるだて   こんどはこだにわりやのごとばかりで   くるしまなあよにうまれてくる”   の一節にまた、感慨をあらわにしたものである。